峠三吉 「原爆詩集」 初版 1951年刊行

表紙装丁、挿画: 四國五郎
「ちちをかえせ…にんげんをかえせ」で有名な詩集。
1951年9月に新日本文学会広島支部われらの詩の会から500部だけ刊行された初版本です。復刻版と多くの違いが発見できます。

戦後の広島で出会い、ともに反戦・平和のメッセージを発信した詩人の峠三吉(1917~53年)と、画家の四國五郎(24~2014年)。 峠が若くして亡くなったため、意気投合した2人が過ごした時間は短かったですが、連合国軍総司令部(GHQ)によるプレスコード(報道規制)下で多くの共作を生み出しました。
爆心地から約3キロの翠町(現・南区翠)で被爆した峠は49年、若者の文学サークル「われらの詩(うた)の会」を設立する際、入会の勧誘と機関誌「われらの詩」の表紙絵制作の依頼で四國を訪ねました。四國は旧満州(での軍隊生活やシベリア抑留を経験。1948年に戻った故郷の広島で、「一緒に絵を描いていこう」と約束していた3歳下の弟直登さんが原爆で亡くなったことを知り、「広島で平和を訴える絵描きになる」と決心していました。
峠と四國は、峠が住み、われらの詩の会の拠点でもあった「平和アパート」(中区昭和町)で、被爆当時の広島の状況などをもとに、絵や詩を一緒に考えます。「にんげんをかえせ」で知られる峠の代表作「原爆詩集」(51年)は、四國が表紙を描いています。原爆詩集は東京の出版社が発売禁止を恐れて出版しないため、初版は1951年9月に新日本文学会広島支部われらの詩の会より500部だけ刊行されました。四國の長男光さんは「父は峠さんについて、『常に一番弱者の視点でものを見る人だった』と言っていた。後に母子をテーマにした詩画集などを制作したが、峠さんから大きな影響を受けたのではないか」と語っています。

by ギャラリーヒロシマ Gallery HIROSHIMA

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